基本情報

| 作品名 | インモラル物語 |
| 公開日 | 1975年9月20日 |
| 監督 | ワレリアン・ボロズウィック |
| 出演 | リセ・ダンヴェルス、ファブリス・ルキーニ、シャーロッテ・アレクサンドラ、パロマ・ピカソ、パスカル・クリストフ、フローレンス・ベラミー、ジャコポ・ベリニツィ、ロレンゾ・ベリニツィ |
ヌードギャラリー
第1話・満潮
第2話・性書テレーズ
第3話・女伯爵バトリー
第4話・ルクレチヤ・ボルジア
ヌード解説
人類史上もっとも美しい「性」の遺産
ヌードのボリュームもクオリティも、これ以上の映画は存在しないのでは…?―――
本作『インモラル物語』を見終えた後、誰もがそう溜息を漏らすことでしょう…。
監督は「エロスの詩人」「背徳の美学者」として世界中のシネフィルから崇拝されるワレリアン・ボロヴィチクです。
「単なるポルノではない、美術館に飾られるべき映像」「光と影の使い方が神がかっている」と、その芸術性が絶賛され続けているカルト的な傑作です。
本作は全4章からなるオムニバス形式を取っており、それぞれの章で現代の映画では決して再現できない、圧倒的な破壊力を持ったヌードが展開されます。
第1話「満潮」:リセ・ダンヴェルス、波打ち際のヴィーナス
まずは第1話、従姉弟同士の背徳的な性の目覚めを描いた一篇です。
ここで私たちは、作中屈指の美少女、リセ・ダンヴェルスの麗しいすっぽんぽん姿を目撃します。
彼女のヌードは、まさに無垢なるエロスの賜物です。
フランスの海岸線を背景に、彼女がただそこに佇んでいるだけで、画面全体が名画のような輝きを放ちます。
波音と重なる彼女の吐息、そして惜しげもなく披露される若々しい肢体です「彼女の透明感が凄まじい」「フェラチオの概念を変える美しさ」と評される通り、彼女の存在自体が、観る者の穢れた心を浄化しつつ、同時に激しく昂ぶらせる不思議な引力を持っています。
第2話「性書テレーズ」:シャーロッテ・アレクサンドラ、恍惚の自慰
続く第2話は、哲学と信仰、そして快楽が入り混じる奇妙な物語です。
ここでの見どころは、なんといってもシャーロッテ・アレクサンドラによる、映画史に残る自慰シーンです。
キュウリを用いたその行為は、一見すると背徳的ですが、彼女の表情はまるで聖女のように神々しいです。
快楽の海に溺れ、白目を剥きながら昇天していく彼女の演技は、まさに憑依レベルです。
「エロい」という言葉すら陳腐に感じるほどの、魂の叫びとも呼べるヌードパフォーマンスに、ただただ圧倒されます。
第3話「女伯爵バトリー」:処女たちの肉の宴
そして、本作の知名度を決定づけた第3話です。
血の伯爵夫人エリザベート・バトリーの伝説を描いたこの章では、集められた処女たちが終始すっぽんぽんで躍動します。
パロマ・ピカソ演じる伯爵夫人の狂気もさることながら、特筆すべきはその圧倒的な「量」と「質」です。
無数の若い女性たちがすっぽんぽんで戯れ、あるいは殺められていく様は、残酷でありながらもこの上なく美しいですね。
「インモラル物語といえばこのシーン」と語り継がれるのも納得の、センセーショナルな映像美です。
50年前のフランス映画が、今なお日本で高い知名度を誇る理由のすべてが、この肉の宴に凝縮されています。
第4話「ルクレチヤ・ボルジア」:フローレンス・ベラミー、神の造形美
最後を飾るのは、近親相姦の罪に溺れるボルジア家を描いた第4話です。
ここで披露されるフローレンス・ベラミーのすっぽんぽんは、もしかすると本作で最も美しく、そして刺激的かもしれません。
ルネサンス絵画から抜け出してきたかのような、豊満でありながら引き締まったフレンチ・ビューティーの肢体です。
そして、70年代特有の「未処理の陰毛」が持つ、野性的かつ高貴な美しさ、彼女が兄と絡み合うシーンの神々しさは、まさにヌード映画としての到達点であり、人類が求めていた究極の美がここにあります。
現代映画が失った「ヌードという最強の武器」
本作を観ると、1970年代において映画というメディアは、ある意味で「完成」していたのではないかと思わされます。
CGも複雑な伏線もない。あるのは、ただ圧倒的に美しい女優たちのすっぽんぽんと、それを切り取る監督の美学だけです。
半世紀経っても、これを上回る作品になかなか巡り合えないのは、現代の映画が余計な要素を詰め込みすぎているからかもしれません。
「女のヌードに勝るキラーコンテンツはない」――本作は、その真理を無言のうちに証明しています。
迷走している現代の映画監督たちを全員集めて、この『インモラル物語』の映写会を開きたい、そう思わずにはいられない、至高の芸術品です。




















































