基本情報

ヌードギャラリー
璃子
辻凪子
ヌード解説
本作の評価は、主演女優・璃子(現:玉木璃子)が見せた、あまりにも大胆で生々しいヌードシーンを抜きにしては語れないでしょう。
それは、一人の女優が偶像を脱ぎ捨て、キャラクタの魂を肉体に宿らせた奇跡的な瞬間でした。
しかし同時に、この作品の奥深さは、もう一人の若き才能・辻凪子の存在によって、さらに豊かなものになっています。
本作は対照的な二人の女優が、それぞれの方法で「映画への覚悟」を示した、魂の記録でもあるのです。
戦略的ヴェール、それを破る儀式
本作の主演を務めた璃子は、公開当時・写真週刊誌「FLASH」で「謎の聖女」として、プロフィールを隠したミステリアスな存在として人気を博していました。
人気が最高潮に達したタイミングで、初のヘアヌード写真集『璃子 愛おしい女』を発売、そしてそれに合わせるかのように本作が公開されました。
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璃子 愛しい女(ひと) - 2016/8/17
写真集週刊誌『FLASH』誌上にて゛謎の聖女゛としてグラビアデビューするや、その美しい顔立ちと、均整のとれたプロモーションで瞬く間に読者、各メディアの間で話題になった璃子。
名前以外のプロフィールがまったく明かされない、ミステリアスな部分も注目を集めました。
そんな彼女を1年半に渡って撮り続けた写真集がついにリリース。
四季の移り変わりの中で魅せた、儚げかつ妖艶な表情を、新たに撮り下ろした完全未公開カットとともに丁寧に映し出します。
周到に仕組まれたプロモーション戦略のクライマックスとして、彼女は映画初出演・初主演でそのすべてを白日の下に晒すことを選びました。
つまり本作における彼女のヌードは、単なる客寄せのためのヌードではないのです。
それは「謎の聖女」という虚像のヴェールを自ら引き裂き、「女優・璃子」として生まれ変わるための覚悟の儀式でした。
この計算され尽くした背景がスクリーンに映し出されるすっぽんぽんに、物語以上の重層的な意味を与えています。
傑出したヌードシーンの芸術性
本作のヌードシーンが傑出している理由は、その圧倒的な「芸術性」と「誠実さ」にあります。
璃子が演じるのは「好きでもない男とは寝られるが、好きな人とは寝られない」という屈折を抱えた女性・琴子です。
彼女のヌードは、このアンバランスな内面を映し出す鏡として、完璧に機能しています。
1. 限りなく自然な「生」の質感
特筆すべきは、その徹底したリアリズムです。
昨今の邦画にありがちな、いかにも「処理しました」という不自然さや、恥じらいからくる遠巻きのアングルとは一線を画します。
黒々としたヘアは、過度に整えられることなく、生命感あふれる自然なままのTHE 陰毛を披露しています。
限りなくナチュラルでこれはキャラクターのありのままの感情、取り繕うことのできない「生」の姿を象徴するための、監督と女優の固い意志の表れです。
観客はそこに作られた美しさではなく、息づく肉体の説得力を見るのです。
2. 臆面のない「大胆さ」と「頻度」
本作はヌードをまったくと言っていいほど、出し惜しみしません。
一度きりのサービスショットではなく、琴子が空虚なセックスを重ねるたびに、すっぽんぽんは繰り返し、そしてハッキリと映し出されます。
この「臆面のなさ」は、単にエロティックなだけでなく、「愛のないセックスなんて、こんなものだ」という琴子の心の空虚さや投げやりな感情を、観客に追体験させる効果を持ちます。
目を凝らす必要すらないその潔さは、日本の商業映画が長年ためらってきた表現の壁を軽々と打ち破っています。
3. 官能を超えた「物語性」
最も重要なのは、これらのヌードが決して性欲のはけ口として描かれていない点です。
好きでもない相手との無機質なセックスで見せるすっぽんぽんと、本当に好きな人の前でぎこちなくなる身体、その対比が琴子の心の葛藤そのものを物語ります。
彼女のヌードは感情の機微をセリフ以上に雄弁に語る、最高の演技装置なのです。
R-18指定を受けたのは、単に過激だからではないでしょう。
むしろ人格形成期に観れば価値観が揺らぎかねないほど、そのヌードが強烈な心理的インパクトと芸術性を帯びていたことの証明と言えるかもしれません。
助演・辻凪子
主演・璃子の強烈なインパクトの影で見過ごしてはならない才能が、この映画には確かに存在します。
それが女優でもあり、映画監督としての顔を持つ辻凪子です。
辻凪子さんは、どこか懐かしい「昭和顔」と底知れぬエネルギーで観る者を惹きつける、稀有なアーティストです。
自ら脚本・監督・主演を務め、映画製作会社まで立ち上げるその姿は、敬愛するチャールズ・チャップリンさながらのDIY精神に満ちています。赤ちゃんモデルからキャリアを始め、NHK連続テレビ小説の常連として活躍する一方、監督として国内外の映画祭で評価されるなど、その活動は多彩を極めます。
そんな彼女が、本作でヌードシーンに挑んだ意味は大きいと言えます。
出番はわずかで、ヒップのみのセミヌードではあります。
しかし、当時弱冠20歳、まさにこれからという売り出し中の女優が、この決断をすることは容易ではなかったでしょう。
ここに、彼女の映画そのものへの深い愛と、表現者としての誠実さが表れています。
役の大小や露出の多少にかかわらず、作品が必要とするならば、臆することなく身体を張る。
それは、映画の世界を何よりも尊重する彼女だからこそできた、主演の璃子さんとはベクトルは違えど、同じくらい尊い「覚悟」の示し方でした。
その一瞬のシーンに、彼女が持つ女優としての一流の風格と、映画作りへの本気の姿勢が凝縮されています。
二つの魂が響き合う、比類なき傑作
映画『好きでもないくせに』は、二人の対照的な女優の「魂」が刻まれた、比類なき傑作です。
一人は璃子、自らの神秘的なイメージを破壊し、キャラクターの痛みや矛盾を表現するために、そのすべてを曝け出しました。
彼女のヌードは、邦画史に残る芸術的「表現」として、観る者の心を揺さぶります。
もう一人は辻凪子、映画への揺るぎない愛と敬意を胸に、たとえ一瞬のシーンであっても、女優としての覚悟を誠実に示しました。
そして監督にはすっぽんぽん映画を撮らせたら右に出るものなしの吉田浩太、「ソーローなんてくだらない」「ちょっとかわいいアイアンメイデン」の監督としてもお馴染みです。
主演として作品の核を担う魂と、助演として作品の世界観を支える魂、この二つの輝きが共鳴するからこそ、『好きでもないくせに』は単なる恋愛映画やエロティック映画の枠を超え、観る者に深く突き刺さる、忘れがたい一本となっているのです。
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