基本情報
ヌードギャラリー
花井瑠美
大谷澪
大谷澪、花井瑠美
ヌード解説
二人の少女が魅せる、脆く美しいヌード
本作は主演を務めた花井瑠美と大谷澪が共にヘアヌードを披露するという、極めて挑戦的な一作です。
物語の筋書き以上に、二人の少女が織りなす繊細で危うい関係性と、それを体現するかのようなヌードシーンの数々が本作の評価の核となっています。
R-18指定作品でありながら目を覆うような露骨さではなく、どこか儚く美しい映像世界が広がっています。
"じらし"の果てのヘアヌード
本作のヌードシーンにおける演出は、観客の期待感を巧みに煽る構成になっています。
物語が中盤から終盤に進むにつれて、二人の肌の露出は徐々に増していきますが、決定的な瞬間は巧みに避けられます。
衣服や下着を一枚一枚ゆっくりと脱いでいく「じらし」の演出は、観る者の想像力を掻き立て、大変にそそるものがあります。
そして、物語のラスト、二人の関係性が最高潮に達する絡みのシーンで、ついに待望のヘアヌードが披露されるのです。
計算され尽くした構成の果てにヘアが露わになった際の感動と興奮は、相当なものであったと言えるでしょう。
芸術性と検閲の狭間で…
本作のヌードシーンを語る上で避けられないのが、陰部に施された「ボカシ」の存在です。
この処理を巡っては、観客の間で評価が真っ二つに割れました。
注視しなければ気づかないくらい自然な加工処理で、AVのモザイクのような無粋さがないと、その巧妙な処理を称賛する声があります。
これは検閲という制約の中で、いかに芸術性を損なわないかという製作陣の腐心と意図的な演出の表れでしょう。
しかしその一方で、カメラアングルの工夫等で回避すべき事象を安易なボカシ処理で対応したことに、批判的な意見も数多く見受けられます。
「文学芸術作品」を謳う本作において、ヘアにボカシを入れる行為そのものが「しらける」という厳しい声もありました。
R-18文学賞原作という背景が、観客により大胆でアーティスティックな表現への期待を抱かせた結果、このボカシ処理が不満へと繋がったと考えられます。
この賛否両論は日本の映像メディアにおけるヌード表現の難しさを象徴していると言えます。
金子修介監督の美学、「脆弱なエロティシズム」の追求
本作のヌードは、金子修介監督特有の美学に貫かれています。監督はそのフィルモグラフィーを通じて「少女に対するこだわり」を示し、彼女たちの瑞々しい感性を映像に焼き付けてきました。
本作でもその手腕は健在で、露骨な性的アピールよりも、思春期の少女が持つ「脆弱なエロティシズム」を追求しています。
電気を消して、カーテン越しの陽光だけの薄暗い部屋でのセックスといったシーンの美しさや、ゆらゆらと揺れるカメラワーク、逆光を効果的に使った照明など直接的な露出に頼るのではなく、繊細なムードと雰囲気で少女たちの微妙な関係性を浮かび上がらせる演出は実に見事です。
監督自身も女優たちに「自由にやらせてくれた」といい、彼女たちの自主性を最大限に尊重したと語っています。
このアプローチが、本作の魅力であるナチュラルで生々しい演技に繋がったことは間違いないでしょう。
画面が暗すぎて彼女たちのすっぽんぽんが存分に楽しめない…という、クオリティが高いが故の真っ当な要望も、この作品の芸術性を考えれば無粋なのかもしれませんね…。
魂で演じるヌード
本作のヌードシーンに、何よりも圧倒的な説得力を与えているのは、主演を務めた花井瑠美と大谷澪の女優としての覚悟と献身です。
元新体操選手である花井瑠美は、そのスリムで伸びやかな肢体が印象的ですが、一部では「ガリガリに痩せすぎ」と健康を心配する声も上がりました。
これは脚本にあった「あばら骨が見えている」という描写を忠実に再現するため、彼女が2週間で8kgもの壮絶な減量を敢行した結果なのです。
新人女優がヌードシーンのためにこれほどの身体的変容を遂げることは、並々ならぬコミットメントの証左です。
彼女はヌードに対しても「裸も私の一部にすぎないので、大したことじゃなかった」と語り、身体的な触れ合いこそが「繊細な感情が伝えられる」とヌードを感情表現に不可欠な要素として捉えていました。
二人は共に初主演でありながら一糸まとわぬ大胆なラブシーンに体当たりで挑み、思春期少女の初々しくも儚い存在感を美しくスクリーンに焼き付けたのです。
物語を超えた、ヌードが語るもの
確かに、本作の物語・ストーリー性は薄いと評されることもあります。
しかし本作におけるヌードは、単なる見世物を遥かに超えた多層的な意味を持っています。
そこには思春期の少女だけが持つ、クラゲのように「艶めかしく、しかし刺さると痛い」脆さと残酷さ、そして優しさが凝縮されています。
女優たちの並外れた覚悟と役作り、そして少女の危うい美しさをフィルムに収めようとした監督の確固たる美学、これらが一体となった時…。
本作のヌードシーンは物語の希薄さを補って余りあるほどの、痛切で忘れがたい輝きを放つのです。