基本情報
作品名 | 華魁 |
公開日 | 1983年2月19日 |
監督 | 武智鉄二 |
出演 | 親王塚貴子、夕崎碧、梓こずえ、明日香浄子、宮原昭子、松原レイ、響恭子、酒井しず、矢生有里、川口小枝、真柴さとし、伊藤高、桜むつ子、殿山泰司 |
ヌードギャラリー
親王塚貴子
夕崎碧
その他女優
日本公開版とフランス版(オリジナル)の違い
日本版とフランス版の違いは、「陰部のボカシ編集」や「過激なシーンのカット」だけにとどまらず、「ヘアヌードのシーンの差し替え」まで行われているようです。
ハードコアポルノを謳っているものの、「どうせ公開時にはカットされるから、ソフトな演出バージョンも撮っておこう」という制作側の意図が透けて見えるのは、何とも言えないところです…。
とはいえ、現在でも劇場公開時にはレーティングを下げるために過激なシーンをカットし、後にDVDやBlu-ray化の際に「ディレクターズカット版」として完全版を公開する手法が取られています。
そう考えると、ある意味この作品は時代を先取りしていたのかもしれませんね。
今回は、差し替えが行われたと思われるシーンをピックアップし、GIF動画で比較してみました。
夕崎碧が彫り師にすっぽんぽんを披露するシーン
頭で重要な部分を隠すという定番の演出が採用されていますが、オリジナル版ではそのまま露出されていることが確認できました。
親王塚貴子が風呂場で手ぬぐい一枚で棒立ちになるシーン
驚きのあまり、手ぬぐいが一度股間から離れるという粋な演出が、オリジナル版では確認できます。
比較すると、こうした細かな演出が作品に与える影響の大きさが改めて感じられますね。
親王塚貴子が着物を脱いですっぽんぽんを披露するシーン
回りと左回りという演出の変化が見られますが、本作が何十年経った今でも高く評価されている理由の一つは、ヌードシーンに一切の妥協がないからだと考えられます。
もし最初から下のシーンで公開されていたならば、十把一絡げの映画として埋もれ、後世に語り継がれることはなかったかもしれません。
ヌード解説
遊郭を舞台にした耽美的な映像美が特徴の作品で、過激な描写と芸術性が融合した異色の邦画となっております。
性愛を真正面から描きながらも、単なる官能映画にとどまらず、深いテーマ性を持つ作品として話題になりました。
物語
本作は、遊郭で生きる女性たちの運命を描きながら、自由のなさや社会的な抑圧を映し出しています。
美しい映像とともに、過酷な運命を背負った女性たちの生き様が、観る者に強い印象を与えます。
親王塚貴子の体当たり演技
主演の親王塚貴子は、当時の日本映画ではタブーとされていた過激なシーンに挑戦し、圧倒的な存在感を放っています。
ヘアヌードだけでなく、作中では生々しい性描写にまで踏み込んでおり、その体当たりの演技からは彼女の女優としての覚悟が感じられます。
オリジナル映像で確認できる性器や挿入シーンのアップが、本人のものかどうかは定かではありません。
しかし、親王塚貴子自身が本番行為を認めていること、また本番行為があることを理由に堀川まゆみが降板した経緯を考えれば、挿入シーンもボディダブルではなく、親王塚貴子自身による熱演だった可能性が高いと言えるかもしれません。
モブキャストの存在感
花魁役の女優陣による入浴シーンも、本作の見どころの一つです。
個々のキャストの名前こそ判別できませんが、彼女たちの演技は作品に深みを与え、単なる官能映画とは一線を画す要素になっています。
どの時代にも演技のために一糸まとわぬ姿を厭わず、全身全霊で役に挑む俳優がいるものです。
彼女たちの情熱には、いち視聴者として敬意を表したいですね。
ヌードシーンの演出について
ヌードシーンは、芸術的な照明や衣装、構図によってまるで絵画のような美しさを持っています。
女性の儚さや美しさを際立たせる演出が施されています。
また閉ざされた遊郭という世界で生きる女性たちの運命が、ヌードを通じて強調されています。
「自由のなさ」や「社会の支配」といったテーマが浮き彫りになっています。
リアルな描写と幻想的な演出のバランスが取られており、遊女たちの美しさと過酷な現実のコントラストが効果的に描かれています。
まとめ
本作は、その過激な描写やテーマ性から賛否が分かれる作品ではありますが、日本映画の枠を超えた挑戦的な作品として評価されています。
映像美、演技、ストーリーのいずれも独自性を持ち、今なお語り継がれる作品です。
ちなみに、『愛のコリーダ』や『白日夢』など、他のハードコアポルノ作品と比べると、本作は比較的ソフトな印象を受けます。
とはいえ、本番映画であるだけに性描写の過激さが際立つ場面もありますが、それだけにとどまらず、しっかりと女性の美しさにもフォーカスが当てられている点は高く評価できるポイントです。
単なるエロス映画ではなく、芸術性と社会的テーマを兼ね備えた作品です。
親王塚貴子の体当たりの演技や、耽美的な映像美は邦画史において特筆すべき存在と言えるでしょう。